上原浩治のメジャー評価や成績!全盛期はどれだけ凄かった? 球速や球種や投球フォームなども
上原の全盛期をご存知ですが?成績は圧倒的ですが、とにかく試合が早く終わり、試合を操っていましたね。
今回の記事では上原浩治の成績?メジャー評価!全盛期はどれだけ凄かった? 球速や球種や投球フォームなどもについてお伝えします。
生年月日 1975年4月3日
身長 187 cm
体重 87 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1998年 ドラフト1位(逆指名)
初出場 NPB / 1999年4月4日
MLB / 2009年4月8日
年俸 2億円+出来高(2018年)
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上原浩治のメジャーの成績・評価は?
メジャーでは2009年から2017年までオリオールズ、レンジャーズ、レッドソックス、カブスの4チームで9シーズンを投げました。
その間に彼は、480イニング2/3で防御率2.66、WHIP(投球回あたりの与四球・被安打数合計を示す投手指標)0.89、三振/四球比率572/78と素晴らしい成績を残し95セーブを刻んだ。
上原氏は2013年から16年まで守護神として活躍します。4年間での防御率2.19です。
7位に選出されたキンブレルのレッドソックスでの3年間の防御率2.44を上回ます。
「ウエハラはキンブレルのように圧倒する直球を持っているわけではないが、残した結果は同じくらい圧倒的だった」と評している。
特に2013年のポストシーズンではリーグ優勝決定シリーズでMVP、ワールドシリーズで胴上げ投手になる大活躍。16試合中13試合に登板してポストシーズン最多タイ記録となる7セーブを挙げ、記事では「ウエハラはどれほど圧倒的だっただろうか?」とその活躍を振り返っている。
上原 浩治のメジャーリーグ挑戦前の日本の成績
年
度 | 登
板 | 先
発 | 完
投 | 無 四 球 | 勝
利 | 敗
戦 | セ 丨 ブ | 勝
率 | 防 御 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999 | 25 | 25 | 12 | 4 | 20 | 4 | 0 | .833 | 2.09 |
2000 | 20 | 20 | 6 | 2 | 9 | 7 | 0 | .563 | 3.57 |
2001 | 24 | 22 | 4 | 1 | 10 | 7 | 0 | .588 | 4.02 |
2002 | 26 | 26 | 8 | 4 | 17 | 5 | 0 | .773 | 2.60 |
2003 | 27 | 27 | 11 | 3 | 16 | 5 | 0 | .762 | 3.17 |
2004 | 22 | 22 | 2 | 0 | 13 | 5 | 0 | .722 | 2.60 |
2005 | 27 | 27 | 6 | 4 | 9 | 12 | 0 | .429 | 3.31 |
2006 | 24 | 24 | 5 | 3 | 8 | 9 | 0 | .471 | 3.21 |
2007 | 55 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 32 | .571 | 1.74 |
2008 | 26 | 12 | 2 | 0 | 6 | 5 | 1 | .545 | 3.81 |
タイトルは?
- 最多勝:2回 (1999年、2002年)
- 最優秀防御率:2回 (1999年、2004年)
- 最多奪三振:2回 (1999年、2003年)
- 最高勝率:3回 (1999年、2002年、2004年)
上原 浩治は沢村賞を2回受賞
日本時代に2回の沢村賞を受賞したが、複数回の沢村賞を受賞したのは11人です。平成に入ってからは斎藤雅樹、上原、斉藤和巳、田中将大、前田健太のみなのです。
上原 浩治の制球力・球速・球種
制球力は?
基本的にフォーシームとフォークボールを軸に投げ、ときにはカットボールを混ぜて投げていた。
最も優れて否たのは、制球力であり、奪三振が多く与四球が少ないピッチャーである。NPB10年間で奪三振率7.99(主にクローザーを務めた2007年は奪三振率9.58)。日本での10年間の1549イニングで与四球数はわずかに206個でした。
ただ、日本での通算被本塁打率1.06で、巨人時代は抑えを務めた2007年を除いて毎年二桁の被本塁打を喫しており、シーズン20被本塁打以上も5回記録しています。
投球フォームは?
テイクバックが小さく腕の振りが速いのが特徴で、ややトルネード投法気味のノーワインドアップのスリークォーターで投げます。
まとめ
上原は、野球放送が始まる7時に5回であり、20時に試合終わっていました。本当に配球力がよく、テンポが良く投げるため試合がすぐ終わるんですよね。また、国際試合での安定感は当時各球団のどのエースよりもありましたね。
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