松井秀喜選手は2003年から2012年までの10年間、メジャーリーグで活躍しました。
メジャーでの通算成績は、1236試合出場、打率.282、175本塁打、760打点でした。
本塁打王や首位打者などの個人タイトルは獲得していませんが、2009年のワールドシリーズMVPに輝くなど、大きな舞台で活躍しました。
特に評価が高かったのは、一貫した打撃の安定性と勝負強さです。メジャー通算OPS(出塁率+長打率)は.822と高水準を維持し、満塁時の打率は.333と抜群の成績を残しました。
松井選手の凄さは、日米通算507本塁打を記録し、両リーグで活躍した点にあります。メジャーでの10年間、常に主力として起用され続けたことは、その実力の高さを物語っています。
やっぱり、松井秀喜がコーチとしてでていることに違和感を感じつつもあり、アメリカの選手であったと悲しさもありながら、偉大さを感じられずにいられません。松井秀喜のメジャーリーグの活躍をふりかえってみましょう。
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 松井 秀喜 (まつい ひでき) |
愛称 | ゴジラ |
生年月日 | 1974年6月12日 |
出身地 | 石川県能美郡根上町(現・能美市) |
身長/体重 | 185 cm / 100 kg |
投打 | 右投左打 |
ポジション | 外野手、指名打者 |
プロ入り | 1993年 ドラフト1位(読売ジャイアンツ) |
MLB移籍 | 2003年(ニューヨーク・ヤンキース) |
引退 | 2012年 |
経歴 | 読売ジャイアンツ (1993-2002) |
ニューヨーク・ヤンキース (2003-2009) | |
ロサンゼルス・エンゼルス (2010) | |
オークランド・アスレチックス (2011) | |
タンパベイ・レイズ (2012) | |
主な成績 | NPB: 3度の本塁打王、3度のMVP |
MLB: 2009年ワールドシリーズMVP | |
背番号 | 55(読売、ヤンキース)、31(エンゼルス)、23(アスレチックス)、35(レイズ) |
松井秀喜の成績?メジャーでホームラン王の活躍ができた?ホームラン数を調査
1990年代から2000年代の球界を代表する打者で、日本プロ野球(以下:NPB)では読売ジャイアンツ、メジャーリーグベースボール(以下:MLB)ではニューヨーク・ヤンキースなどで活躍した。
松井秀喜はヤンキース?
2002年12月19日にニューヨーク・ヤンキースと総額2100万ドル(当時約25億4100万円)の3年契約に合意しました。
ニューヨークの新聞各紙は「ゴジラがブロンクスにやってくる」という大見出しをつけた。
松井は「ヤンキースはメジャーの中でも素晴らしい伝統がある。素晴らしいプレーヤーがたくさん在籍した球団。自分の中でも一番刺激があるチームで自分の力を存分に発揮したかった」と語っています。
ヤンキース史上初のアジア人打者でありました。
ホームラン王としての活躍ができた?
3月31日、公式戦開幕試合のトロント・ブルージェイズ戦に5番レフトで先発出場しました。メジャー初本塁打となる満塁本塁打を放ちました。また、4月12日にはメジャー初のサヨナラ安打を放ち、豪快なメジャーデビューです。
7月に行われたMLBオールスターゲームにファン投票のア・リーグ外野手部門で3位に入り初出場を果たした。日本人では1995年の野茂英雄、2001年のイチロー、佐々木主浩に続く4人目のオールスターゲーム出場となった。
7月17日に行われたオールスターゲーム出場後の後半開幕戦のクリーブランド・インディアンス戦でデビッド・リスキーの146km/hの速球を右中間スタンドに運び、日本人メジャーリーガー初のサヨナラ本塁打を放った。
新人かつヤンキースの選手としては21世紀になって初めてシーズン163試合に出場した選手となった。しかし、本塁打数はわずか16本と、期待外れの結果に終わった。
松井秀喜のメジャーホームラン数年間31本の記録?
2004年は前年16本塁打に終わったことを反省し、オフに大幅な筋肉増量に取り組んだ。そのため松井の身体、特に上半身は一回り大きくなりました。
それが功を奏し、重心の位置を下げてスタンスを広めにしたことにより、左方向への本塁打が増加。
東京ドームで行われたタンパベイ・デビルレイズとの日本開幕戦に先立って開催されたヤンキースと巨人の親善試合では凱旋本塁打を放つ。デビルレイズとの開幕2連戦では「2番・左翼」でフル出場し、2戦目には日本のファンの前で第1号本塁打を放ち、またNPB・MLB通算350本塁打を達成します。
その後は前年より大幅に速いペースで本塁打を量産し、6月4日には、前年より41試合早い53試合目で10号本塁打に到達。5月最終週には二度目の週間MVPも受賞した。
9月30日のツインズ戦で日本人選手初の3試合連続本塁打を放った。最終的には日本人メジャーリーガー史上最多で前年のほぼ倍にあたる31本塁打と同最高のOPS.912を記録し、打率こそわずかに3割を下回ったが、三部門全てで前年を上回る好成績を残しました。
2005年には、3年連続で全試合出場を果たすと共に、メジャーでの自己最高となる打率.305、116打点を記録。 松井自身は打率と打点で前年を越える成績を残したことに満足感を示したものの、本塁打の減少については来年の課題となりました。
ヤンキース時代に怪我をしてしまう
2007年5月11日に本拠地ヤンキー・スタジアムで行われたレッドソックス戦の1回表、マーク・ロレッタの放った浅めのフライを滑り込んでキャッチしようとした際にグラブが芝生にひっかかり左手首を故障。そのまま途中交代した。
1イニング守備に就かずに交代したため、巨人時代の1993年8月22日から続いていた連続試合出場記録が「1768」で途切れた。
ニューヨーク市内のコロンビア大メディカルセンター病院で即日の検査を行った結果、左手首(橈骨)骨折と診断。翌朝に手術が行われ、故障者リスト入りする。
チームメイトに与えたショックも大きく、デレク・ジーターは「松井の代わりなんて誰もいない」と語るほどでした。
松井秀喜のワールドシリーズMVPの成績!満塁ホームラン!
2009年のポストシーズンには主として「5番・指名打者」として出場します。
ミネソタ・ツインズとのディビジョンシリーズ第1戦では、試合を決定付ける2点本塁打を放った。
ロサンゼルス・エンゼルスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは初戦で2打点と活躍したものの、第4戦・6戦では無安打とやや調子を落とし、打順も6番に下がったが、チームは4勝2敗でエンゼルスを下し、メジャー1年目の2003年以来6年ぶりにワールドシリーズへと駒を進めた。
ヤンキースの3勝2敗で本拠地に戻った第6戦では先発に復帰し、2回にペドロ・マルティネスから先制の2点本塁打を放つと、3回には中前適時打、5回にも右中間を破る適時二塁打で2打点ずつを加え、ワールドシリーズ・タイ記録となる1試合6打点をマークし、スタジアムのファンからは「MVP!」の大歓声が沸き起こった。
松井秀喜のワールドシリーズの成績
9年ぶりの世界一に貢献し、13打数8安打3本塁打8打点、打率.615、OPS2.027で日本人選手初、フルタイムの指名打者としても初めてとなるワールドシリーズMVPに選出されました。
2012年12月27日にニューヨーク市内のホテルで緊急記者会見を開き、2012年シーズン限りで現役を引退することを明らかにました。
松井秀喜のメジャーや海外の反応は成功微妙?メジャー何年を調査
メジャー何年?
松井秀喜選手は2003年から2012年までの10年間、メジャーリーグで活躍しました。
契約最終年の2009年に9年ぶりの世界一に貢献し、ワールドシリーズMVPに輝いています。ワールドシリーズでの打撃成績は打率.615、3本塁打、8打点と圧巻の活躍。
世界一を決めた第6戦では、ワールドシリーズタイ記録の6打点をマークしています。
松井秀喜の評価
ヤンキースはFAとなった松井氏と再契約しなかったが、その判断は「大きな過ち」だったと言われています。
SNYは公式ツイッターに「2009年のこの日、ヒデキ・マツイが6打点を記録したワールドシリーズ第6戦。
その中で彼はペドロ・マルティネスから2ランHRを放った」と綴り、松井氏の一発映像を投稿した。松井氏はこの試合で4打数3安打6打点の活躍を見せるなど、通算13打数8安打3本塁打8打点、打率.615、OPS2.027の圧倒的成績でMVPに選出された。
アメリカのファンからはなどコメントが寄せられた。
この年を最後にヤンキースを去った松井氏だが、その姿はファンの心に強く残っているようだ。
まとめ:松井秀喜 のメジャー 成績?ホームラン王?評価の凄さ!海外の反応成功微妙?メジャー 何年!年間ホームラン数の記録を調査
いかがでしたでしょうか。
松井秀喜 のメジャー 成績?ホームラン王?評価の凄さ!海外の反応成功微妙?メジャー 何年!年間ホームラン数の記録を調査についてお伝えしました。
ホームラン数だけ考えるとメジャーを失敗と考えますが、松井秀喜はチームバッティングに徹しており、3割100打点の名門ヤンキースの4番です。これを実現できる選手はいるのでしょうか。他球団であれば自由にできたかもしれませんが、Aロッドやジーターなどの名選手がいてホームランを諦めましたが、ワールドシリーズで必要な場面ではしっかりとホームランを打っています。
やっぱりジャイアンツへの復帰はないのかと寂しくさせる日米野球で感じさせます。
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