九里亜蓮(くり あれん)選手は、その安定感ある投球が魅力の右腕投手です。
しかし、その活躍を支えてきた背景には、さまざまなドラマを持つ家族の存在があります。
本記事では、父・母・妹・祖母を中心とした家族構成と、それぞれが九里選手の成長や野球人生に及ぼした影響について詳しくご紹介いたします。ぜひ最後までご覧ください。
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 九里 亜蓮(くり あれん) |
生年月日 | 1991年9月1日 |
年齢 | 33歳(2024年現在) |
出身地 | 鳥取県米子市 |
身長 | 188cm |
体重 | 97kg |
血液型 | A型 |
投打 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
所属チーム | オリックス・バファローズ(2025年〜) |
前所属 | 広島東洋カープ(2014年〜2024年) |
背番号 | 19(広島時代) |
プロ入り | 2013年ドラフト2位(広島東洋カープ) |
主な成績 | 2021年セ・リーグ最多勝(13勝) |
家族構成 | 妻、息子 |
特徴 | 日米ハーフ(父:アメリカ人、母:日本人) |
九里亜蓮はハーフの真相?
父親がアメリカ人で元プロ野球選手、母親が日本人という国際的な背景を持つ家庭で育ちました。妹の聖莉奈さんも同様に日米ハーフです。
九里亜蓮選手はアメリカ人の父と日本人の母を持つハーフであることから、187cmという恵まれた体格と端正な顔立ちを持っています。
妹と共に4人家族として育ちました。両親は彼が小学校6年生の時に離婚し、その後は母親と祖母に育てられました。
続柄 | 名前 | 国籍 |
---|---|---|
父親 | マーク・アントニオ・シェック | アメリカ人 |
母親 | 早登江 | 日本人 |
本人 | 九里亜蓮 | 日米ハーフ |
妹 | 聖莉奈 | 日米ハーフ |
九里選手は幼少期から父親の影響で野球に親しみ、プロ野球選手を目指すようになりました。現在は広島東洋カープで活躍する投手として知られています。
九里亜蓮選手は、幼少期に両親が離婚するという環境にありながらも、家族それぞれの支えを受けながら野球の道を歩んできました。各家族メンバーがどのように関わってきたのか、次章から詳しく見ていきます。
九里亜蓮はマーク・アントニオ・シェックが父親?
元アトランタ・ブレーブス傘下の3A遊撃手
九里選手の父親であるマーク・アントニオ・シェックさんは、かつてアトランタ・ブレーブス傘下の3Aチームで遊撃手として活躍されていました。膝の故障により20歳で現役を退きましたが、野球への情熱を失うことなく、九里選手に野球の基礎をしっかりと教え込みました。
アトランタ・ブレーブスは、MLBナショナルリーグ東地区に所属する歴史ある強豪チームです。これまでに4回のワールドシリーズ制覇、18回のリーグ優勝、23回の地区優勝を達成しています。
父親が与えた大きな野球的影響
時期 | 指導内容・影響 |
---|---|
幼少期 | – キャッチボールや基礎練習の指導 – 野球の基礎から応用まで直接指導 |
成長期 | – 右投手としてのフォームや投球術を教えた可能性 |
プロ入り後 | – インターネットで試合をチェック – 試合内容についてメールで感想を送る – 具体的な感想やアドバイスを提供 |
マークさんの指導があったからこそ、九里選手はプロ野球選手として成功への第一歩を踏み出したといっても過言ではありません。現在はアメリカで暮らしながら、遠隔で息子を見守り続けています。
この父子の絆は、九里選手の野球キャリアにおいて重要な役割を果たしていると言えるでしょう。
九里亜蓮のヤンキーの真相?ハーフの外見
ハーフの外見で不良グループに目を付けられる
九里選手は中学に入学したばかりのころ、ハーフのような外見が目立っていたため、3年生の不良グループに目をつけられました。
入学式の日に集団で痛めつけられましたが、父親から「けんかでやられたら、次の日にやり返せ」と教わっていたことを思い出し、翌日にリーダーに1対1の勝負を申し込みます。
特攻隊長としての活動
その強さが認められた九里選手は、不良グループからスカウトを受け、「特攻隊長」として活動するようになりました。本人はこの時期について、「まるで『ビー・バップ・ハイスクール』のような中学時代でした」と振り返っています。
野球への回帰と更生
しかし中学時代の途中で再び野球に打ち込みたいと思い、野球少年に戻ることを決意します。
不良グループから離れようとした際、祖母が喧嘩相手への謝罪に奔走する姿を見て、強く心を動かされ、更生を決心したといいます。
九里亜蓮のウィキペディア見たら「中学時代は不良グループの特攻隊長に指名され、喧嘩に明け暮れた。しかし、喧嘩相手への謝罪を行っていた祖母を見て不良グループから脱退する決心を固める」と書いてあった
— showgunn (@showgunn) July 20, 2023
不良グループを抜けると嫌がらせを受けましたが、祖母の尽力のおかげで中学3年の2学期に特例で転校することができ、環境を変えて再スタートを切りました。
九里選手の“不良時代”は決して誇れるものではありませんが、これらの経験を乗り越えたことが、プロ野球選手としての活躍につながったともいわれています。
現在は「格好いい男になりたい」という目標を持ち、黒田博樹選手の“男気”を受け継ぐ期待の星として評価されています。
参考元;広島ドラ2九里亜蓮 金髪「特攻隊長」を更生させた祖母の愛(日刊ゲンダイ)
九里亜蓮の母は?お母さんやおばあちゃん
母は?お母さん
九里亜蓮選手が小学校6年生のとき、両親は離婚しました。
その後、母の早登江(はやとえ)さんは営業職に就き、息子と娘を女手一つで育て上げました。忙しい日々のなかでも、九里選手の野球活動を全力でサポートし、彼が練習に集中できるよう環境を整えてきたのです。
母の強い意志が築いた土台
- 営業の仕事と家事・育児の両立
- 食生活や生活リズムの管理
- 精神的な支えとしての存在
九里選手自身も、母親の努力や愛情がなければ現在の自分はなかったと語っており、非常に深い感謝の意を示しています。
おばあちゃんの淳子さん
九里選手の成長を語るうえで欠かせないのが、祖母の存在です。
思春期に道を外れそうになったとき、祖母が「野球に専念すべき」と強く背中を押し、愛情をもって導いてくれました。母と同様に祖母も仕事や家事で多忙だったと考えられますが、孫の夢を支える姿勢はまさに家族の結束を象徴しています
仕事の出張が多かったため、九里選手は祖母の淳子さんと暮らすことが多く、淳子さんも母親同様に大切な存在となっています
九里亜蓮「お婆ちゃんと、悪い道(足を突っ込んでいた不良の道)とやりたい夢とどっちが大きいのか、という話をして。しっかり野球をやりたいと思えたんです。ドラフトの後、お婆ちゃんに『良かったね』と連絡したら、喝を入れられました。『これからの行動を見られる。これからが勝負だから』と」 pic.twitter.com/joq2qewBaZ
— カープのコトバ (@akakotoba) May 11, 2024
まとめ:九里亜蓮ハーフの真相?ヤンキー?マーク・アントニオ・シェックが父親?お母さん?おばあちゃん?母親!
九里亜蓮選手の華々しいプロ野球人生には、父親・母親・祖母・妹それぞれの支えが大きく関わっています。
両親の離婚を経験しながらも、母と祖母が家計や精神面を支え、父が遠くから野球の基礎を指導し続けたことが、現在の姿を形作ったといえるでしょう。
妹の聖莉奈さんもモデルとして活躍し、家族の絆は今も深く結ばれています。
家族の努力と愛情が実を結び、九里選手はこれからもチームの勝利に貢献していくことでしょう。
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